神様ってどんな存在?私が感じた“彼ら”のこと
神とは、どんな存在なのか?
神様って、どんな存在? 天界ってどんなところ?
というのを、今回は私の視点から話したいと思う。
といっても、神と呼ばれる存在には色々あって、生活から精神性から行動から、実際には違っていたりする。
なんでそうなるかというと、人間は自分が神と感じた対象を思い思いに神と呼んだり名前を付けたりするからだ。
なので今回、私が話そうと思っているのは、私と交流がある『いわゆる神様』の話であることは前述しておきたい。
神は全知全能ではない
少なくとも私と交流がある『いわゆる神様』はそうだ。
そうは言っても人間よりは視野が広いし、視点も違うし、知っていることも色々ある。
でも、だからといって、なんでもかんでも完全に……たとえば、何も始まらない過去から、世界の終焉に至るまでの超具体的な詳細とか、ご近所のあの人の心の底、今年の有馬記念の当たり馬券、そういったものまで何でもかんでも知り尽くしているかというと、そうでもない。
ただ、この場合、知り尽くすの定義が少し人間のものとは違っているみたいだ。
実際には、対象を意識することで、そこに関連づいていたり内在する情報を透視することは可能ではあるらしい。
でも、つねにあらゆるものに意識を向けているわけではないから、すべてを常に知り尽くしていて、見渡しているわけではない。
そういう意味で、全知ではない……らしい。
神は完ぺきではない
人間よりも魂として遥かに微細で清浄で完成に近いにも関わらず、完ぺきではない。
それはなぜかというと、神も人も同じ宇宙意識の一部だからだ。
宇宙意識のひとかけらとして繋がり合っているから、他者の穢れを引き受けることもあるし、ともすれば同じ場にいるだけでも引き受けてしまう。引き受けると、影響を受けないというわけでもない。
そういう意味で、完ぺきでいられないというのが正確であるそうだ。
だから、神様もつねに「いわゆる魂を清浄にするための修行」というものをやっているらしい。大変だなと思うけど、彼らにとっては、それがライフスタイルのようで、人間が歯を磨いたり顔を洗ったりするのと同じテンションである。面白いなと思う。
超絶長いスパンでものを考えているし、生死も越えてものを考えている
このあたり、私が人間の常識と全然違うなと感じるところその1。
彼らは複数の世界を行き来するのを当たり前に自分たちのことも、他人のことも考えているように見える。
複数の世界を行き来するというのは、ようするに、生まれ変わりとか、変化とか、そういう意味だ。
なにに姿を変えるかで、それは生まれ変わりだったり、変身だったりする。
生き物というのが、生まれて死ぬのが当たり前の世界だと、生まれ変わりになる。そういうものがなくて、変身する世界だと、変身という形になる。
そういう、「いわゆる輪転」というものが当たり前に前提にあって、それを含めたスパンでものを見ている。
だから、人間を見るときも、実際には「人間としてのその人」自体を見ていなくて、彼らが触れたり関わるのは魂の方だ。
そのためガワが何を感じていても、どんな姿でも、あんまり気にしていないな……というかんじがする。
それでもさすがに、魂の質が変わるほど大きく傷ついたり極端に濁るようなことがあると、離れたりは起こるみたいだけども。
ただ、嫌になって離れるというより、縁が繋がらなくなってしまうというのが正確らしい。
神様的には、本当は誰のことも見捨てたくはないけれど、極端に遠ざかってしまうと繋がれなくなるらしい。
神の愛はちょっと興味深い
これ、私が人間の常識と全然違うなと感じるところ代表その2である。
私の知ってる神様とは仲間関係みたいなグループ関係があったりするんだけれども、愛情の扱いが人間とはだいぶ違うので、人間の常識で挑むと困惑する。
とても表現はしにくいものの、具体的にはどういうものかというと、親友のような友達のような親子のような恋人のような……みたいなかんじで、けっこう幅広く愛情の質を包括している。それでいて独占や嫉妬などとは無縁で、かつ深い愛情を持っているとも思う。
また、上下関係はなくて、対等な関係を大事にしているように見える。
そのため私と彼らの関係も対等で、彼らのことを師やガイドなどと扱ったりすると、実は、うーん……みたいな反応をされる。あまり良い顔はされない。
師とかガイドとか言い出した時点で意識下に上下が芽生え、それは必要以上の依存とか頼ったりとかに繋がるから、あんまり宜しくないそうだ。
本来は対等な関係なのだから、そうするべきではないと私は言われがちだったりする。