欲望が課題になる理由と、魂の苦しみを緩和する方法
前回の記事はこちら shankara.hateblo.jp
今回は、上の記事の続きとなるものなので、前回の記事が未読の方は、ぜひ前回から読み進めていただけたらと思う。
課題を緩和する(今ある苦を和らげる)方法
具体的に、どのようにすればいいかというと、以下である。
- 他者の助けや喜びにつながることをすることで、自身の魂の記憶に、助けや喜びの因子を刻む。
だが、前回も述べたように、喜ぶからといって欲望を助長するようなことしてはならない。
たとえば、怠けたがりの人がいたとして、その人の身の回りの世話をすべて行ったとする。するとその人は一見、助かっているように見えるけれども実際には、他者にしてもらうことが当たり前となって自分で自分の世話をすることもままならなくなってしまうし、それが当たり前ではなくなることで、そのような行為に強い苦痛を感じるようになるだろう。これは、助けや喜びに繋がるとは言い難い結果である。
だからといって、どれが欲望を助長するか、そうではないかを一つ一つ判断するのは難しいと思うので、目安となるものを書いておく。
そのヒントは魂が本質的に求める幸せにある。
つまり、他者の心を落ち着かせたり安心させたり、魂の声を聞くことに繋がる助けは、基本的には欲望の助長に結びつきにくい。
私はここで欲望を取り上げたけれども、なぜ欲望の助長となることは良くないか? を以下で説明する。
欲望の助長が良くない理由
それは、欲望を満たすことによって得られる喜びや幸せは、持続しないばかりか苦しみを生むからだ。
たとえば、食欲を例に上げる。食欲を日々お腹いっぱいまで満たすと、胃袋が膨らむことで、食べる量がどんどん増えていく。あるいは美食でも、美味しい食事を知ると、もっと美味しいものが食べたくなる。これは、助長になっている例のひとつだ。
するとどうなるかというと、まず生活習慣病のリスクが生まれる。そのリスクを理解してもなお止められない人間もいることは、一般的にも知られているかと思う。するとゆくゆく病気になって苦しむだろう。さらには肥満、粗食では満たされなくなるなど、食に縛られた生き方が必要になってしまう。
美味しいものを食べたとき、幸せだと感じるかもしれない。でも、人生という長いスパンでよく考えてみると依存による苦しみの方が多いはずだ。
同じように、性欲もそうだ。助長することによって、性や恋愛に依存しなければ寂しさや苦しさを感じるようになってしまう。
それは幸せな状態であるとは、とてもではないが言えないはずだ。
例えばお金もそうだ。お金に囚われることで、いくら稼いでも満たされなくなる。持ってても持っていなくても、不安でいっぱいになってしまう。
持っていないときは不足に対する苦しみを感じて、持っているときは、今度は減ることに対する不安を感じるようになる。
実はSNS等もそれに当てはまる。義憤心や怒りを煽る記事というのは中毒性があって惹かれやすい。
だが、その感情を繰り返し得ることによって何が起こるかというと、より過激なものを求め、感情は、より怒りや不安などの苦痛を感じるはずだ。時には他者と衝突する原因にもなる。これは苦しみのひとつと言える。
このように、基本的に欲望の助長というのは依存を生む。
実は、それを楽しむことそのものが良くないことだとは言わない。
それに囚われることが良くないというわけだ。でも、楽しみというのはすべからく依存を生みやすく囚われに移行しやすい。
だから離れるようにと解く既存の宗教が多いのだろうなと私は考えている。
アルコールや薬などの致命傷になる囚われもあれば、些細な囚われも存在する。囚われによって生じる苦しみは多岐に渡る。
ハッキリ言って、人間社会が美徳として肯定するものの多くの中にも、囚われることによる強い苦しみを生み出すものが数多く存在している。
でも私はこれについては、人間だからだと思っている。
それにちなんだ課題があるからこそ、それを美徳として接触を推奨したり、機会を増やすような価値観のもとに生まれているというわけだ。
(でもこれは多数派の話で、実は中には、課題として持っていないけれども人間として生まれてきている人もいる。そういう人は、変わり者などと見られやすかったりする)
往々にして離れられない欲望とか、その欲望に対峙しなければならない機会があるというのは、まさに課題として与えられているものだ。
課題との付き合い方
すでにある魂の課題というのは、どこかのタイミングで噴出するし目の前に現れる。
でも、そこからきちんと学び切ることができたら、課題は終わる。
だから、課題としての苦しみを早く終わらせたいなら、なるべく感情や心を澄ませ、考えて感じることで学ぶ。自分は何をしたことによって、何を感じて、相手にどのような影響を与えたかを見つめて学び切る。課題を終えたら、すんなりと離れることができるはずだ。
でも、欲望や感情で心がかき乱れている状態で考えると、誤った評価を下してしまうこともあるため、とにかく落ち着けることが大事だ。
課題と向き合うことがどうしても辛いとき、耐えられないときは、逃げてもいい。
心や感情が落ち着くところに避難して、ゆっくりと乱れて混乱した意識を落ち着ける。そうやって静かになれば魂の声が聞こえるから、自分はどうしたら良いか、どうしていくべきか、おのずとわかるはずだ。
課題の影響があまりに強そうなら、その嵐に戻る前やあるいは戻る最中において、緩和する方法を心がけると良い。
ここに書いたのは、課題としての苦とうまく付き合う方法である。
一方で、まだ発生していない、新たな課題を生み出さないための方法および目安というのが、この記事の頭で紹介した、前回の記事となっている。