オバケの正体とは?不可視の存在を分類してみた
オバケって実在するの?
オバケって実在するの? いるとしたら、どういう原理? 恐らく、誰でも一度は気になったことがあると思う。 今回は、これについてスポットを当ててみたいと思う。
オバケには幾つか種類がある
基本的に、第六感を用いらなければ感知できない、不可視の意思があるっぽい存在を「オバケ」と呼ぶと思う。
でも実は、それらはひとつの原理だけで起こるものではない。
そのため、ひとつずつ紹介していきたい。
1.完全な内的存在の主観世界への投影
これは一般的には、個人的にしか認識できないもの・さらには、幻聴や幻覚などと処理されがちなものが、これに当たる。
一般的にこういったものは、単なる幻聴とか幻覚として扱われるのが普通だけども、実際には、世界というのは主観するものなので、それも個人が感受する世界の一部である。
これらは往々にして存在感があるし、影響力もある。
だから、それとの働きかけや関係性は、魂の記憶になったり傷になったり、あるいは癒えるための要因になったりもする。
2.その場にある空気が主観世界で姿を持った状態
これは場所が由来となるものだ。私たちは生命以外は魂を持たないと思いがちだけど、実際にはそれもまた世界の一部であるため、その場所や物といったもの自体も、実は自己意識のようなものがあって、魂の記憶を持っている。
ただし、自己意識といっても、その意識の状態は人間ほどハッキリしていなかったり、曖昧だったり、極めて希薄だったり、あるいは複合的だったり、あるいはとても鈍いものだったりする。意識状態は、物や存在によって差がある。
通常そういったものは、雰囲気や印象のような感じ方としてしか現れてこないが、その場所に訪れた人が強く印象を受け取った場合、そこに姿があるものとして認識できる場合がある。
この場合、個人的な体験になることもあれば、その場に居合わせた複数人が同時に体験することもある。
なお、この「主観世界に影響を及ぼす場の空気」というのは、なにも場所に限らず、人間や生命でも起こる。
だから、その人とか動物をまとう形状が見えたり、何かしらの姿が見えたりすることもある。
3.肉体を持たない存在
最後に、本当に肉体を持たない存在がそこにいて、感受できてしまうタイプの不可視の存在(オバケ)というのも実際にいる。
肉体を持つことだけが生き物としての姿ではないのは実際そうだ。
でも、多くの人にとって、主観世界と連続性が生まれたり地続きになるほど近くないので、感受しないことのほうが多いだろう。
それでも主観世界がそのような存在に近くなったり地続きになっていると、認識できるようになったりする。
また、特定の場所でこのような存在が感受しやすくなるという現象があるのも、2で述べたような、その場にある空気が、このような肉体を持たない存在の主観世界に近い状態である場所だったりすると、そうなるわけだ。
例えば、悪霊を感受できてしまう人は、ポジティブになるとか、ヨガや気功等のエネルギーワークでエネルギーの位置を高い場所に上げてしまうと、感じにくくなったり、憑かれにくくなるという話を聞いたことがある人もいるのではないだろうか?
それは実際にそうで、どういうことかというと、そうすることによって、主観世界との連続性や近さが薄れるからである。
霊界へ行くとは、どういう状態?
夢や瞑想で霊界へ行ってしまうパターンがあるが、これはどういう状態かというと、一時的に、主観世界がそちら側と地続きになった状態だ。
世界というと私たちの感覚だと、XYZ、つまり三次元的な空間の中に、座標があって位置があって……と考えがちだけど、実際には、何を主観しているかしかない。
ようするに、実感としては幽体離脱をして移動していても、正確には、霊体になって別の座標へ移ったわけではないということだ。 主観世界との連続性を維持しながらも、そこを辿っていって、主観世界とは別の世界を垣間見た状態だ。
でも、実際には人間として生まれている以上、私たちの魂(自己意識)の潜在意識下にある因子は、そもそも人間世界を主観する要素がほとんどだということだ。だからそれは一時的な状態でしかないことが通常で、すぐに戻ってしまうことが多いだろう。
最後に
ここに書いたのは、現状私が認識している範囲なので、もしかしたら他にもあるかもしれない。
もしも新しく理解できるものがあったり等したら、またあらためて記事にすると思う。
ただ、現状においては、恐らくこれが「不可視の存在」について、一通り網羅できているのではないかなと思っている。