囚われないとは? 魂の自由を考える
囚われるとは? 囚われないとは?
私はよくこのブログで、その対象が何であろうとも、囚われるのは魂にとって良くない状態だ・苦の因子を生みやすくする状態だという話をしている。
今回の記事では、じゃあ、囚われるとはどういう状態? 逆に、囚われていない状態になると、どういう状態? というのを説明しようかなと思う。
囚われている状態
囚われているというのは、どういう状態かというと、簡単に言うと感情が強く揺さぶられる対象がある状態だ。
一番誰でも、わかりやすいのが、それが存在しなければ強い苦痛に苛まれて、それを常に求めてしまう状態かと思う。
でも、囚われているというのは、実はそれだけの状態に留まらない。
具体的には、以下の状態があると思う。
1.それを強く欲している
その対象が無いことが不足感になり、欲しくてたまらない状態。
2.それに執着・依存している
その対象は手元にあるが、それが無ければ苦痛を感じる状態。
3.それに強く憧れている
その状態にならなければ、自分は満たされないと思いこんでいる状態。
4.それに嫌悪感を抱いている
実は、わかりにくいかもしれないけど、この状態も囚われの一形態だ。
たぶん、この状態が囚われていない状態だと誤解している人もいるんじゃないかなと思うけど、実は、これも強く囚われている状態なのだ。
嫌悪感を抱くというのは、実は、それだけその対象を強く意識している状態でなければ起きえない。
その嫌悪感の後ろに色々な動機があり、それを強く意識せざるを得ない状態に入り込んでいる。
嫌悪感がある対象というのは、必要以上に心を揺さぶり、心に食いついてきて、印象に残る。これはれっきとした強い囚われの一形態なのだ。
囚われない状態
では逆に囚われていない状態とは、どんな状態になるのか? というと。
これも、もしかしたら意外かもしれないけど、以下のような状態になる。
それがあれば楽しめはするけれど、無くても特に困らない。
無いなら無いで、すんなりと離れられる。
実は、とても自然体の状態なのだ。
そこには熱狂もない一方で、嫌悪も苦痛も存在しない。
あってもなくても、手に入れても、手放しても、心の状態はとくに変わらない。
手に入れることも手放すことも、自然体のままで可能になる。
これが、本来の囚われていない状態だ。
だから実は、楽しめないというわけでもなくて、あったらあったで、普通に楽しめはする。
でも、無くてもべつに構わないし、気にならないし、苦痛にもならない。
意外かもしれないけれど、真に囚われなくなると、こういう状態になる。