シャンカラの樹の下で - 瞑想とヒトリゴト -

瞑想・前世・白昼夢。自分の見て感じる世界に対する考察・感想・検証の独言。

神と呼ぶべきか、友と呼ぶべきか──彼らとの関係性について

このブログを書くにあたって、いつも個人的に悩んでいることがある。 それは――私のガイドの呼び方。

ガイドと呼ぶにも、高次存在と呼ぶにも、神様と呼ぶにもすべて違和感しかない。 でも、恐らく一般的にはその言葉を使うのが一番近いから、わかりやすい。

だからそう表現するわけだけど、本当は、そのどれでも表現したくないなという気持ちがある。

ガイドと言うにしても

べつに私の師とか導き手ではない。 私が疑問に思ったことのアドバイスとか、色々指導はしてくれるけど、上下関係って一番イヤがられることだし、関係性としては仲間とか友達とか恋人とか姉妹とか……まあ、なんとも言えないんだけども、『いわゆる神様の世界で神様たちが築いているそれ』がそのまま私たちの間柄においても持ち込まれている状態。

高次存在と呼ぶにも

そもそも彼らの価値観として、人間を始めとした数多の存在と彼らの関係性なんて、宇宙意識という肉体の中における右手と左手みたいなものなので、上も下も無い。
たしかに私たちよりもずっと宇宙意識に近い存在だとは言っても、高次と呼んでしまうと優劣の印象があるため、彼らの価値観に合わない。

神様と呼ぶにも

彼ら自身が神と名乗ったり、肩書や名前に固執することは無い。
だって彼らは、自分たちもまた数多の経験を経由してきた意識の一部だと知っているからだ。
だから、その時代、その土地で、なんて呼ばれていたかなんてまったく興味がない。
神というのは人間がそのとき、そう思って、そのように呼ぶだけで、彼ら自身がそう名乗ったり、そうであることにこだわっているわけではない。


このような理由から、便宜上ブログではこれらの呼び方のどれかを使いがちだけど、一方で、どれを使うにしてもしっくりこないという状態が続いている……(苦笑)