魂の幸福に還れる場所をつくるという目標
ブログで、この理論を書き続けるには乱雑になりすぎてきているため、最近は別サイトで整理を進めている。
ある程度形になれば、こちらからも行けるようにリンクを張りたいと思っている。
こちらのブログは引き続き、高次理論〜個人的な体験、考え方に至るまで、雑多なテーマで書き続けるつもりだ。
なぜこのブログを書いているか?
それについては、最初の記事にしたためてある。 shankara.hateblo.jp
でも最近は少しずつ、新しい形が見えてきた気がする。
私にはやりたいことがある。
それは、とても壮大で、ともすれば人によっては(おそらく多くの人にとっては――)、バカバカしいと感じる話かもしれない。
それでも、そのバカバカしさに、本気に向き合って付き合ってくれる仲間がほしいと思っている。
これからは、そう思ってくれる人を探すための役割もかねて発信していこうと思っている。
その、バカバカしいかもしれないけれども、やりたいことは何かと言うと。
シャンカラを形にする
私はこの「シャンカラ」という言葉を象徴的に使っている。
この言葉には、本来のサンスクリット語としての意味――つまり、吉祥をもたらす者とか、幸福をもたらす者とか、そういう意味が込められている。
つまり、吉祥・幸福を形にしたい。
これが私の願いだ。
ここで言う、吉祥や幸福というのは、社会的成功とか、物質的な成功のようなニュアンスではなくて、魂としての吉祥・幸福という意味である。
ただそこにいるだけで、内なる自己と繋がれる。
ただそこで生きているだけで、自然と魂の課題を見いだして、こなしていける。
そういう場所を作っていくことを私の目標にしたいと考えている。
それができたら、生きることそれ自体に充足と価値を見いだせるだろう。
つまりそれは、魂の幸福に還れる場所ということである。
どうしてそう考えるか?
なぜ、そう考えるかというと、世の中には、社会が苦しいと感じている人が多いと感じているからだ。
現代社会というのは、「多様性の時代」と言いながらも実際には、ひとつだけの価値・ひとつだけの環境しか与えられていないと思う。
それは何かというと、『社会的成功や物質的充足』という価値と、『情報過多で刺激重視』な環境である。
それに適応できない人間はすべからく、社会不適合者とか、下手をすれば発達障害の烙印を押されてしまう。
(もちろん本当に障害がある人もいるけれども、中には、感覚過敏が強くて繊細すぎるせいで、障害とされてしまう人もいる)
個人的な印象だけど、現代社会の常識とか基準の中で生きることが苦しさになる人って明確にいると思う。
とくに霊的な敏感さを抱えている人って、そういう面が多いのではないかなと個人的には思う。
他の人たちは耐えられているはずの、都市や人混みや情報量などが極端な疲労感に繋がったり、極端な思考力低下を招いたり、自律神経を崩してしまう。
そういう人が世の中には確実にいるなというのを私は知っている。
娘がまさにその体質を持っていて、身近にいるからだ。
私自身もその体質は持っているけれども、瞑想や気功やヨガ等で心身を整える術を知っていて、しかもそれがメチャクチャ効くパターンがあることも知っているので、そこそこやってはきている。
(そもそも自分は社会隔離が起こりやすい宿命を持っているので、そういう場に出にくいというのもあるかもしれないけれども)
とにかく、このような理由で、そういった人が楽に生きていける環境があったらいいのになーと思うのと、そういう環境が世界のどこかにあれば、いま社会適応できている人にとっても、へこたれたときに息継ぎができる場所になるかもしれないな。と考えるわけである。
でもそれは、単純なリトリートの場として作って消費するのはもったいないと考えている。
そこが内なる自己に近づける環境・生活圏になれたら、きっと、そこは確実に、もう一つの生き方の選択肢として機能できる場になるだろうなと思う。
だから、そういう場所を作りたい。
そしてそれは、誰の魂にとっても優しい場所でありたい。
このように考えているわけなのだ。
と、これが私が近頃、自分の人生の目標にしたいと考えている、『とても壮大かもしれなくて、多くの人にとってはバカバカしいと感じるかもしれない話』だ。
きっと、「そんなものに必要性があるの?」と疑問に思う人もいるかもしれない。
それでも、必要性があると私自身は感じている。
それがあることで、未来の人々が少しだけでも、楽になれるんじゃないのかな……と、個人的に思ったりしているわけだ。
私のささやかな願いと目標を、ここに、そっと置いておく。
この願いが、いつか叶いますように。