求めること、挑むこと、そして超えること──魂の視点から見る成長
自分がいつも願望成就には触れずに仕組みの話しかしないのは、私達というのは、あれが欲しい・これが欲しいなどの利益追求の意識から抜け出して、魂本来の生き方に根ざしたほうが、本当は一番幸せになれるからだ。
魂の課題の仕組みや、それを乗り越えるための方法を書くのは、必ず魂の課題を越えるプロセスを経なければ、魂を自由にすることは不可能と言って過言ではないからだ。
魂の課題を越えるというのは、魂の中にある情報の現象化のループから抜け出すということだ。
それは結果的に、自己に幸福や喜び、生き方(意識)の主導権、自由をもたらす。
それをわかっているから私は、課題をこなすことと、魂本来の視点に沿ったものの見方というのをここで書いている。
それは、それらを咀嚼することで、自己の魂に気付く可能性が高まる・魂本来(内なる神・ハイヤーセルフ)に近付くことができると思っているからだ。
でも、それを求める段階――つまり、魂本来に還ることを望む段階というのは、課題をあれこれと経験し尽くすことで、もういいやと満足できたときだけだ。
だから、経験に真正面から挑んでいる段階というのも、魂にとってはスキップすることができない必要なことなのだろうなと思っている。
求めるというのは、それを体験したいという欲求だ。
だから、それが体験できるように支援すべきなのか、そうすべきではないのか……悩んでいた。
しかし、それを高次存在に相談したところ、支援する内容を書いても大丈夫なようだ。
体験するために挑むことそれ自体も経験のひとつではある。だから、右も左もわからず挑むのも、ゆくゆくの強さにはなるかもしれない。
でも、例えばここに会社があったとして、右も左もわからない新人が、何も教わらずに試行錯誤して学ぶことと、マニュアルを読んで学ぶことで得られる結果はほとんど同じだろう。
もちろん、試行錯誤して学ぶほうが、応用や発想力が鍛えられる。
しかし会社の業務を見ていてわかるように、先にマニュアルで基本を無難にこなせるようになってから、応用や発想力を鍛えてもいいわけだ。
新人教育でもそうだが、そうしたほうが、右も左もわからず放置されるよりもずっと育つのも早い。
逆に、マニュアル無しというのは、困難さや敷居の高さも生み出してしまうだろう。
このような理由から、少しずつ、願望成就向けの内容も出していければいいなと思う。