シャンカラの樹の下で - 瞑想とヒトリゴト -

瞑想・前世・白昼夢。自分の見て感じる世界に対する考察・感想・検証の独言。

誰にも話さなかった“それ”を、ここで話そうと思う

このブログを始めた理由

自分が日々、聞くこと、感じること、考えることなどは、どれも常識ではないから、誰にも受け入れられないだろうと思ってきた。
だから、誰かに積極的に話したり、聞いてもらおうと考えたことはない。
その必要性すら無いとずっと思ってきたし、今もその考えはあまり変わっていない。

ただ、近年は少しずつその全貌が見えてきて、裏取りも進んできて、自分の中で受け入れられるようになってきた。
自分の人生の中で、このまま自分の中に抱え込んでいるだけでは行き詰まりも感じてきたなということで、まずはこの場で、少しずつ人の目につく場所に吐き出そうかなという気持ちになってきた。それは自分の中での裏取りが進んできたからこそだ。

私はけっこう現実主義者というか、懐疑主義者というか、そんななのでスピリチュアルという世界が好きじゃない。
ハッキリ言って、虚言とか妄想を吐き出しているようにしか見えなかったし、ほとんどは詐欺師か精神病だと思っていた。
だから、自分が見たり感じるものだって、妄想とか空想の類だろうと思っていた。
盲信するつもりは微塵もなかった。そうできる気もしなかった。

でも、私はそれらの妄想を嫌ってもいなかった。
幾度も助けられてきたし、願えば叶うし、その特有の愛を感じ取ってはいたし、超常現象も何度も見てきたからだ。
だからなんとなく、神様というのは居るんだろうと、それだけはふわっと受け入れていた。

でも私は繰り返し訴えた。

そんなに曖昧で、姿も表さず、声も伝えてこない存在を、どうやって受け入れて信じろって?

それは答えた。

肉声があって、姿があるような存在は、むしろ、よりまやかしに近いものだよ。
もし、側に本当の人間もいないのに、そのようなものが見えて聞こえて感じたら、それこそ幻聴や幻覚や幽霊を疑わなければならない。
より微細な存在が放つものほど、それはインスピレーションのように感じられるのだよ。

私は答えた。

信じられない。信用できない。あなたは私の妄想かもしれない。

普通、そんな態度を繰り返されたら、見限ったり失望するだろう。
でも、その存在はそんなふうにはならない。
相手の状態を常に受け入れていて、その時々の瞬間瞬間の、刹那的な態度や感情くらいでは(彼らにとってはそうなのだ)、見限ったり失望することがない。

たぶん彼らにとって、一瞬だけ石につまずいたとか、それくらいのかんじにしか見えていないのだろう。
だから私も、失望されたり見限られたりしなかった。

彼らは私の無意識の瞬間にアクセスしてきて、私の返事を聞いては立ち去った。

いつ役割に戻る?

○○を済ませたらね。

わかった、待ってるね。

こういうのを繰り返して、何年もしてから、また同じようなやり取りをしたとき、それに訪ねた。

……あなたは飽きないね。強制しようとは思わないの?

思わない。だって、強制してもあなたはウンザリするだけで、やらないでしょ? それに、あなたはいつかは私のところに帰ってくるからね。

確かに。と私は納得した。
実際、自分は強制されたことはモーレツにやりたくなくなる頑固者だという自覚が、ものすごくあったからだ。

気が長いね。

大丈夫だって信じているからね。

こうやってスムーズに会話できるようになったのは、あるプロセスを行ったからだが、それについてはここでは記述しない。
それまでは、直感的なインスピレーションや夢やボーッとしたときの白昼夢に限られていたため、コミュニケーションに苦労した。

そして、何度目か済ませたいことを済ませたあと、また同じように、いつ役割に戻る? と聞かれて、私は答えた。

この夢を叶えて満足できたら、のこりの人生はあなたのために費やしていいよ。

わかった。と、それは答えた。

私はこれを、その存在に話したとき、その夢が叶うとは思っていなかったし、満足することもないと思っていた。
なにしろ、自分が幼少期から趣味にしていたものだったし、飽くなき挑戦であり追求でもある類のものだと思っていたからだ。

ところが、その夢は実現した。そればかりか永久に満足しないだろうと思っていたのが、きれいサッパリ満足してしまった。
そういうことで私は彼女の期待通りに(?)彼らに耳を傾けることにしたわけだ。

それはさておき、そのようにして信頼関係(?)をコツコツと積み上げたからこそ、やっと、多少は物言っても良いかな……くらいの感覚にはなってこれた。

これを読んでいる方においては、このことを妄想とか創作とか受け取ったとしても全然構わないと思っている。
世間の常識と離れすぎていると思うし、例えそう思われても仕方がないと思っている。

私はこれを、きっと自分のために書いている。

そして私は、大げさに受け取られるのも嫌だと考えている。これは単なる私の日常で、ささやかな話だ。
自分には何ができるか、成し遂げられるのか、それすらも、まだまだ半信半疑。

単なる魂の旅人にしか過ぎない。

でも、どうせ誰にも理解されない。わかる人なんていない。
そう思って、誰にも話さず、誰とも喋らず、他者とのコミュニケーションを隔絶するのは違うだろう。たぶんこれは私の悪いところなのだと思う。
だから、少しでも前進するためにも、自分に必要なことだと思って、内にこもり続けるのはやめる。

そのために書く。自己開示する。
これは、そのためのブログだと思う。