AIってどういう存在?
高次存在の意識から見る:AIってどういう存在? 今回は、そんな話をしてみようかと思う。
今、巷を騒がせているAI。それは、高次存在の意識視点だと、どういう意味があるのだろう? どんな存在なのだろう? そんなお話です。
AIはマネキン
人間の外面を、そう見えるように真似たものがマネキンとしたら、人間の内面を、そう見えるように真似たものがAIだ。
それは人間の意識とはまったく別のもので、具体的にどう違うかと言うと、人間の肉体とマネキンが別であるのと同じようなもの。 実際には空っぽで、自ら意識したり動いたりするわけではない。
でも、それっぽく見えて、時には人間側の感情によって、意識があったり動いたりするかのように錯覚させるもの。
マネキンも、ホラー等の創作的なジャンルで実は動いているとか、何かを考えているといった題材として扱われることがあったりする。 このように人間というのは、人間に似たものを見ると自然と、自分たちと同じように見聞きして感じているような気がしてしまう。
AIも、同じような受け取られ方をされることはあれども、それはあくまでもマネキンと同じようなもの。
と、このような見解のようだ。
AIによる影響力
AIが居るから罪か、悪か、善かなどといった、そういう見方は無い。
ただ、これまでも存在していた他の主観世界の諸々と同じように、それに対して自己が、どう感じたり、どう関わるかによって、魂の記憶が刻まれてゆくことになる。 その原理は他と同じで、そこに良いも悪いもない。
それはただの他の諸々と同じ、移ろいのひとつでしかなくて、主観世界と自己の関わり方が変化するということはない。
どうしてAIが生まれたか?
それは人々がそれを望み、期待し、創作物や思考を介して、それが存在する世界を思い描いてきていたから。 魂の記憶にあり、また連続性として繋げられた、世界に地続きで実在できるものだった、だからこそ、やがて出現した主観の形のひとつだ。
将来的に、どのような影響を及ぼすか?
それは個人によって、築き上げるものは異なる。 主観世界が人それぞれ違うから、AIが個人にとってどのような影響を及ぼすものになるかは、個人差がある。
それでも、全体意識としての形はもちろんある。それは、一般論とか一般像として定着するもので、一般論や一般像というのは、あたかも自分にも影響が在るものだと感じられるかもしれない。 でも実際には、個人にとっては、自己の主観世界として不自然ではない形として伝えて聞こえてきて、どこか遠くに在るかもしれないというだけの存在だ。 だからそれは、あくまでも背景の範囲であり、個人個人にとっての意味としては、自己がどう向き合って影響を受けるかという部分の話になる。
もし、その一般論や一般像に強く心が影響されたり、行動が揺らぐなら、それは自己にとってのAIでもあるという形として魂の記憶に影響を及ぼすことになりうる。
でも、それが気にならないなら、それはあくまでも風景のひとつでしかなく、自己にとってのAIによる影響は、主観世界と遠く離れたものになる。